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最高裁判所第一小法廷 昭和54年(あ)429号 決定 1980年10月23日

主文

本件上告を棄却する。

当審における未決勾留日数中八〇日を本刑に算入する。

理由

弁護人渡辺明治の上告趣意第一の一は、憲法三七条二項違反をいうが、その実質は単なる法令違反の主張であり、同第一の二、第二の二の(一)は、憲法三一条違反をいうが、その実質は事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第二の二の(二)のうち、憲法三一条違反をいう点の実質は単なる法令違反の主張であり、憲法三八条一項違反をいう点は、尿の採取は供述を求めるものではないから、所論は前提を欠き、その余は事実誤認、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかしながら、所論にかんがみ、職権をもつて調査するに、本件の採尿検査を違法であるとした原判断は、次の理由により法令に違反したというべきである。

一原判決の認定した本件採尿検査の経過は、次のとおりである。(1) 昭和五二年六月二八日午前一〇時ころ、愛知県江南警察署警察官宮本忠男らは、被告人を覚せい剤の譲渡しの被疑事実で逮捕した。(2) 右宮本は、被告人の両腕に存する静脈注射痕様のもの、その言語・態度などに照らし、覚せい剤の自己使用の余罪の嫌疑を抱き、尿の任意提出を再三にわたり求めたが、被告人は拒絶し続けた。(3) 翌二九日午後四時ころ、同署は、強制採尿もやむなしとして身体検査令状及び鑑定処分許可状の発付を得た。(4) 同日夕刻鑑定受託者である医師尾関一郎は、強制採尿に着手するに先立ち、被告人に自然排尿の機会を与えたのち、同日午後七時ころ、同署医務室のベッド上において、数人の警察官に身体を押えつけられている被告人から、ゴム製導尿管(カテーテル)を尿道に挿入して一〇〇ccの尿を採取した。(5) 被告人は、採尿の開始直前まで採尿を拒否して激しく抵抗したが、開始後はあきらめてさして抵抗しなかつた。(6) 同署は、同医師から、採取した尿の任意提出を受けてこれを領置し、右尿中の覚せい剤含有の有無等につき愛知県警察本部犯罪科学研究所に対し鑑定の嘱託手続をとつた。

二尿を任意に提出しない被疑者に対し、強制力を用いてその身体から尿を採取することは、身体に対する侵入行為であるとともに屈辱感等の精神的打撃を与える行為であるが、右採尿につき通常用いられるカテーテルを尿道に挿入して尿を採取する方法は、被採取者に対しある程度の肉体的不快感ないし抵抗感を与えるとはいえ、医師等これに習熟した技能者によつて適切に行われる限り、身体上ないし健康上格別の障害をもたらす危険性は比較的乏しく、仮に障害を起こすことがあつても軽微なものにすぎないと考えられるし、また、右強制採尿が被疑者に与える屈辱感等の精神的打撃は、検証の方法としての身体検査においても同程度の場合がありうるのであるから、被疑者に対する右のような方法による強制採尿が捜査手続上の強制処分として絶対に許されないというべき理由はなく、被疑事件の重大性、嫌疑の存在、当該証拠の重要性とその取得の必要性、適当な代替手段の不存在等の事情に照らし、犯罪の捜査上真にやむをえないと認められる場合には、最終的手段として、適切な法律上の手続を経てこれを行うことも許されてしかるべきであり、ただ、その実施にあたつては、被疑者の身体の安全とその人格の保護のため十分な配慮が施されるべきものと解するのが相当である。

そこで、右の適切な法律上の手続について考えるのに、体内に存在する尿を犯罪の証拠物として強制的に採取する行為は捜索・差押の性質を有するものとみるべきであるから、捜査機関がこれを実施するには捜索差押令状を必要とすると解すべきである。ただし、右行為は人権の侵害にわたるおそれがある点では、一般の捜索・差押と異なり、検証の方法としての身体検査と共通の性質を有しているので、身体検査令状に関する刑訴法二一八条五項が右捜索差押令状に準用されるべきであつて、令状の記載要件として、強制採尿は医師をして医学的に相当と認められる方法により行わせなければならない旨の条件の記載が不可欠であると解さなければならない。

三これを本件についてみるのに、覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に該当する覚せい剤自己使用の罪は一〇年以下の懲役刑に処せられる相当重大な犯罪であること、被告人には覚せい剤の自己使用の嫌疑が認められたこと、被告人は犯行を徹底的に否認していたため証拠として被告人の尿を取得する必要性があつたこと、被告人は逮捕後尿の任意提出を頑強に拒み続けていたこと、捜査機関は、従来の捜査実務の例に従い、強制採尿のため、裁判官から身体検査令状及び鑑定処分許可状の発付を受けたこと、被告人は逮捕後三三時間経過してもなお尿の任意提出を拒み、他に強制採尿に代わる適当な手段は存在しなかつたこと、捜査機関はやむなく右身体検査令状及び鑑定処分許可状に基づき、医師に採尿を嘱託し、同医師により適切な医学上の配慮の下に合理的から安全な方法によつて採尿が実施されたこと、右医師による採尿に対し被告人が激しく抵抗したので数人の警察官が被告人の身体を押えつけたが、右有形力の行使は採尿を安全に実施するにつき必要最小限度のものであつたことが認められ、本件強制採尿の過程は、令状の種類及び形式の点については問題があるけれども、それ以外の点では、法の要求する前記の要件をすべて充足していることが明らかである。

令状の種類及び形式の点では本来は前記の適切な条件を付した捜索差押令状が用いられるべきであるが、本件のように従来の実務の大勢に従い、身体検査令状と鑑定処分許可状の両者を取得している場合には、医師により適当な方法で採尿が実施されている以上、法の実質的な要請は十分充たされており、この点の不一致は技術的な形式的不備であつて、本件採尿検査の適法性をそこなうものではない。

原判決が本件採尿検査を違法視しているのは前記説示のとおり法令に違反するものであるが、原判決は採取した尿を資料とした鑑定書の証拠能力は肯定しているので、右違法は判決に影響を及ぼすものとはいえない。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、刑法二一条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(中村治朗 団藤重光 藤崎萬里 本山亨 谷口正孝)

弁護人渡辺明治の上告趣意

原判決は、第一審の名古屋地方裁判所一宮支部の認定事実どおり0.5グラムの譲渡および自己使用の各事実を有罪としたうえ、控訴棄却の判決をしたが、その認定は違法な証拠に基づくものであるうえ、被告人の人権を無視する憲法違反が明白であるので到底破棄を免がれ得ず、量刑も著しく不当に重いと思料する。

第一事実誤認の主張<省略>

第二法令違反

一、訴訟手続違反の憲法違反

第一審判示第二の事実は、公訴提起が手続に違反し、判示の事実も不充分であるから、結局、犯罪が不特定のまま有罪とされた点で憲法第三一条の違反が明白である。

憲法第三一条は適正手続の保障および罪刑法定主義を定めたものであり、犯罪の特定がなされず、訴因の特定不充分のまま有罪とされるならば、結局、被告人に刑事手続の保障をしたとは解せないのです。

罪刑法定主義は、明確な構成要件を要求し、あいまいな犯罪で処罰されないための保障であるから、訴因特定不充分のまま公訴提起を有効とし、有罪の判決がなされるならば右刑事基本原理は全く無視されたに等しいのです。弁護人は裁判所が罪刑法定主義を自から無視し被告人を有罪とすることは百人の有罪犯人を免ずるより重大な憲法違反を犯したと評したいのです。

二、違法な証拠を有罪の根拠とした憲法違反

(一) 原判決は、医師の上申書は無条件に証拠能力がある如く判断しているが、自から原判示の採証が違法と判断するときは、法定手続を遵守する立場から証拠能力なしと判断すべきであり、違法な手続が理由づけをして適法化される理論は法の執行者を甘やかすもので憲法三一条に違反する。

(二) 原判決は、採尿検査が違法であると判断しながら、証拠としては証拠能力を肯定したが憲法第三一条、第三八条に違反する。

原判決は、覚せい剤自己使用の事案につき強制採尿をやむを得ないものと判断し、ただその方法が正当でないというが、被告人は黙秘権および強制拷問の禁止が保障されていることを考えると、本件の如き自己の身体に強制力を加えられることは、仮りに、証拠が供述でない場合でも右憲法の保障に反すると解すべきである。

被告人が男性であるので強制採尿につき令状による適法の余地がある如き錯覚を残すが、犯罪の捜査の必要性と人権侵害とを比較すれば強制採尿は許さないと解すべきである。

仮りに、被採取者が女性である場合を想定すれば何人もこれを許さないと考えることは疑問の余地がなく、令状に基ずくと否とに拘らず違法な人権侵害の採証と解すべきである。

第三量刑不当<省略>

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